桐タンスが3段なのは・・・

桐箪笥は、様々な形がありますが、高さのある
桐箪笥は、3段に分かれている物が多いです。
運搬しやすいこともあり、分かれているんだろうと
当たり前に思っていたのですが、さらに理由が
あるそうです。

《そもそも桐たんすを使うようになったのは・・・》
庶民がタンスを使うようになったのは、
江戸時代の中期で欅(けやき)の木を
使っていたそうです。
とても重く、樫の車をつけて引いて移動させて
いましたが、男性でも引くのに苦労したようです。
タンスを車なしでも持てるように、桐を使って
軽くしたのは幕末になってからです。
それでも今のような3段ではなく、1段で
高さも低く、補強のため金物が多く打ちつけられ、
運搬するにはまだ重く、苦労したようです。

《桐たんすが3段になったきっかけ》
江戸中期の桐箪笥は担ぐために背を高くできず、
1段でした。
明治になると2段重ねになり、女性でも持ち
やすく改良されてきました。
3段重ねになるのは、東京では大正の末期、
13年のことです。
関東大震災の翌年に一斉に3段重ねになった
そうです。
震災時に2段重ねのタンスを持ち出すには
重かったのか、もっと軽くして、もっと早く
逃げたいと思い、3段重ねにしたのでは
ないかとも言われています。
すでに3段重ねのタンスは京都などでは、
軽くて収納力のあるタンスとして普及していたそうです。
参考文献『木のある生活』秋岡芳夫著

《女性でも持ち運べる》
3段に分かれる桐箪笥のうち、中身が空の場合、
桐箪笥1段が15㎏前後なので、
1段なら女性一人でも持てます。
中身が入っていたら二人で持ち運べます。

《桐たんすの変遷》
昔の古い桐箪笥や、おばあちゃんの桐箪笥を
みると、側面には棒通しや把手がついていますが、
現在の桐箪笥には見受けられません。
たまに最近の桐箪笥でも、昔の名残を残し、
飾りとして棒通しや把手が付いているものもあります。
しかし実際に桐箪笥の棒通しに棒を通して
担いでいる人を見かけたことはありません。

昔は嫁入りの時に持参し、生活の道具として
移動したり運搬したり、何かあった時、家財を守る
非常持ち出し用の運搬具として桐タンスを作りました。
今は桐タンスと言うと、調度品や高級家具としての
イメージが強く、持ち運んで移動するという
イメージはありません。

時代の変化と共に桐たんすの姿・形や金物も変わり、
運搬する機能がなくなりました。大きさも最近は
大きく華美なものよりは、小ぶりな小袖たんすに
人気があります。
私たちの暮らし方で桐たんすも変化していき、
桐たんすの変遷をみていくと、私たち日本人の
暮らし方がみえてくると思います。

桐タンスが分かれているのは、運搬しやすいという
理由ではあるのですが、時代や歴史の中で、
進化してきた形だったことがわかりました。
昔は運搬しやすくするために、3つに分かれた
経緯がありましたが、分かれているおかげで、
現代の生活で再び使うとき、分けて使うことが
できるので、無駄がないなぁと感心してしまいます。